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2005.12.18
駅という場所
Panasonic DMC-LX1

先日実家に帰る時、あえて途中下車して駅の構内やホームを歩き回ってみました。田舎の駅にしては大きい駅でしたが、その駅の中には券売機と売店と長椅子とストーブくらいしかなく、自動改札なんて絶対に似合いそうもない駅です。

駅の椅子に座っていると、駅という場所がすごく異質なものに感じてしまう。
若い女の子やよぼよぼのお爺さん、やる気漲るビジネスマンやケバケバしいおばさん・・。いろいろな人がやってきて、そしていろいろな人がいなくなって行く。それを駅の椅子に座って眺めていると、まるで「疑似的な人間関係」を見ているかのようだ。

向かいに座っているおばさんはオレが来た時にもう椅子に座っていたから母親。オレの隣に座った女の子は恋人か奥さんになるのかな。ホームに立っている男性は仕事の同僚なのかもしれない。いろいろな人の入れ替わりが面白いように当てはまる。
そもそも駅なのだから、目的の電車が来れば人はいなくなるワケなのだが、そうやっていなくなってしまった人は、もう2度と会えないほど縁遠くなってしまうみたいでなんだか寂しい。実際は他人なのに妄想とは不思議なモノだ。

しばらくすると同じホームにいたビジネスマンたちがあわただしくなり始めた。目的の電車が来るらしい。それを見て向かいに座っていたおばさんが立ち上がり、そして隣に座っていた女の子がゆっくりと荷物をまとめ始めた。
なんだか本当に自分の身近な人たちと死別しているみたいで悲しくなってきた。
そして突然ある思いが頭を駆け巡った。

人はなぜ死ぬのだろう。

どんなに大事な人に出会ったとしても「死」という絶対的なボーダーラインがあるかぎり必然的な別れがやってくる。それなら出会いに一体何の意味があるというのだろう。死ねばすべてが無に帰してしまうというのに、われわれは必死に生きなければならない。それならば人はなぜ生まれてくるのだろう。

死を前提とした生に一体何の意味があるというのだろう。

昔、そう小学校2年生の時、こんな事を考えていて「いつかは自分の周りの人たちともお別れしなければならないんだ」と、悲しくて悲しくて夜に一人で泣いていたのを思い出した。あれからしばらく経つが自分の中でまだ明確な答えは出ていない。そもそも生と死の受け止め方に答えなどないのだろう。ただ割り切り方を覚えただけなのだ。

突然「ハッ」と我に返った。
ホームにはオレ一人だけが取り残されていた。
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